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第二部 経済・社会を変える

第七章 国民のための行政にする

役人の生かし方


  これまで取り沙汰された方法として、上級公務員の一括採用がある。現在の制度では、キャリア組の役人になるには、人事院が実施する国家公務員試験をとおらねばならないが、合格者の中から誰を採用するかは、各省庁に任されている。採用希望者からみれば、いわば入り口の所で、どの運命共同体に所属するかを決めなければならないことになる。そして、いずれかの官庁にいったん入ると、その中で一生を送らなければならない。
  入り口を一括採用とし、その後の人材配置も一括した人事で行うならば、個々の省庁が運命共同体になってしまうことはなくなるだろう。
  だが、この案には時間がかかりすぎる、という難点がある。たとえ今年から一括採用を始め、若い世代から省庁の垣根意識が消えていっても、幹部クラスには依然として本籍地意識が強い。こういうのは、会社の合併に似ている。たとえ若い世代を積極的に登用するとしても、政府が一体だという意識が本当に定着するまで、相当長期になることを覚悟しておかなければならない。
  そう考えると、今の役所にいる中堅クラス、幹部クラスといった上層部から始められるような改革を考えなければならない。そのためにふさわしいのが、各省庁の首脳を政治家とすることである。そして官僚の仕事は、厳密な意味での事務的作業に限定する。したがって国会での答弁もすべて政治家に任せ、他方で、政府委員といった曖昧な制度は廃止する。
  政治家がすべての質問に答弁できるだろうかという疑問が予想されるが、私は、政治家はそんなに愚かではないと思っている。たしかに、地元の面倒をみることだけに専念し、政策についての勉強をしない古い型の政治家もいる。だが、現状でも勉強している政治家は多い。これからの選挙制度の下では、政策を打ち出せない政党は没落するから、政治家も狭い地域レベルの視野だけでは生きていけない。それが出来なければ、落選するだけである。私は、そうした面での日本人の適応力はすばらしいものがあると思う。
  もう一つ指摘しておきたいのは、「すべてを政治家が取り仕切るのは無理だ」という声が、現在の政治家を前提にしてあがっている点だ。プラトンは賢者が行う政治を理想としたそうだが、それを実現するには、政治家が賢者になるという方法の他に、賢者を政治家にしてしまうという方法がある。
  国会議員という職業は、専門的な知識経験を生かせるという点でも、プレステージが高いという点でも、官僚にとって極めて魅力的なはずである。
  これまで、政治家への転身を難しくしていたのは、プライドの高い彼らにはなじみにくい選挙運動を強いられ、なおかつ先の保証が全くない中選挙区制度だったからだ。その従来の制度の下ですら、政治家をめざして選挙に打って出る官僚は何人もいた。今後は、各ブロックの比例名簿上位に登載されれば、ほぼ確実に当選を見込むことができるのだから、政治家への転身を希望する官僚は、飛躍的に増えるはずだ。
  これからは役人の出世の最終的なゴールを事務次官に止める必要はない。政治家に転身して、有能であれば、自分の出身官庁かどうかに関係なく役所の首脳陣となり、さらには大臣まで到達できる。それも、これまでのような一種のお飾りではなく、新制度の下では、担当する政策についてのエキスパートとしてである。これは、時に理不尽な屈服を強いられてきた官僚にとっては十分に魅力的なルートであるはずだ。
  しかも彼らは出身官庁に縛られないで活動ができるわけである。
  日本の官僚制度の特徴は、役人を狭い専門に特化させず、幅広い活躍をさせるということである。しかし、従来は省庁間の壁という絶対の枠があったため、どうしても限界があった。
  たとえば、大蔵省に入ると公共事業の査定は出来ても、公共事業費の施行の現場に携わることは出来なかった。そうした枠は、合理的なものではない。運輸省に入省したからには、鉄道や港湾のことは出来るが道路行政は建設省の所管なので出来ないというのでは、どう見てもおかしい。
  その点、政治家に転身した官僚は、そんな枠には縛られない。何省出身ということにとらわれず、政府全体の中の最適な持ち場で、自分の能力を発揮できるのである。
  人事考課が一元的でないということも、新制度のメリットの一つとして挙げられる。これまでは、何省、何庁という運命共同体にいったん入ってしまうと、その中で評価されるほかに、能力を生かす道はなかった。一つの役所の中の上司や同期に評価されないと、上のポストは望めなかった。極端な場合、「こいつはダメ」というレッテルを若いうちに貼られると、それっきり先の見込みがないということすらあった。
  だが、役所という組織の中の評価基準と、日本全体にとって望ましい評価基準が同じとは限らない。大体の省庁は減点主義を人事の基調としているが、今後はむしろ加点主義で行かなければならない。また、従来の「仕切構造」をなるべく変えず、役所の既得権益を死守するという行動をとるタイプの官僚は、いくら内部の受けがよくても、新たな時代にはふさわしくない。
  新制度では、従来評価されなかったタイプの役人にも、「敗者復活」の機会が与えられるのである。もちろん、これまでの役所の人事慣行がすべていけないというのではない。A党は従来の慣行を重んじた人事をやり、B党は改革を重視した人事をする、といったことがあってよい。自民党永久政権を前提にした五五年体制と違い、新たな制度の下では、現在は不遇でも将来に期待をかけることができる。

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