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第二部 経済・社会を変える

第五章 官僚統制を完全撤廃

官僚個人は「悪い人」ではない


  このように見てくると、よく言われるように行政による経済規制の撤廃が極めて重要になってくる。ところが、この問題は早くから指摘されながら、なかなか実現できない。どこに障害があるのか。
  最近、「官僚批判」とも言うべき風潮がマスコミを支配している。確かに、私も政治家として官僚行政に接してみて、批判されるような状況があることを痛感する。
  現在の行政は仕組みが非常に複雑で、文書には伏せ字や暗号がちりばめられ、政治家が見てもわからないことばかりだ。個人の仕事について、その人がいなければ仕事の内容が全くわからないということがいくらでもある。それほど役人の自己保存本能は想像を絶するものがある。
  細川政権以降、官僚政治への批判が非常に強くなった。それはなにも細川政権だけが官僚に振り回されたということではない。自民党一党支配時代でも、当時は族議員が表に立って、裏で官僚が彼らを操っていたため、官僚支配が見えなかったにすぎない。その意味では、細川政権の功績の一つは、そうした実態を暴いたことにある。
  しかし、考えておかなければならないのは、あるシステムが全体にとってマイナスをもたらすことを指摘するだけでは、問題解決にはならないということである。物事の暗い面にだけ着目するタイプの批判は、往々にして単なる非難にとどまり、建設的な提案に発展していかない。
  全体の中で病気にかかっている部分はどこかをよく見極め、それを治療することによって、全体の健康を保つようにしなければならない。
  ここでは、まず、どこが病気になっており、どの部分が必要な改革を阻んでいるかを解明したい。
  まず、日本の官僚、とくに高級官僚に「悪い人」が多いことが問題だ、という種類の議論がある。これは、いわば個人的・道徳的な視点からのとらえ方だといえよう。「資本家の手先」という言い方はさすがに最近では聞かれなくなったが、高級官僚が「うまい汁を吸って」いるとか、「権力亡者」だとかいったイメージは、官僚を批判する記事の背後などによく感じられる。
  しかし、こうした議論はおかしい。まず、官僚の中に利己主義が蔓延しているかというと、そんなことはない。日本の多くの会社組織と同様、自分のことばかり考えていたのでは彼らは出世しない。むしろ、彼らも人間であるから、おいしいものを食べ、いいものを着たいと思わないはずがない。しかし、そういうことを表に出していては、役人の世界では嫌われる。
  職務への精励という点でも、日本の官僚は群を抜いて優れている。とくにキャリア組はすごい。予算編成の時期ともなると、国会のある永田町が完全に真っ暗になる午前一時頃になっても、霞が関の官庁街ではどのビルもこうこうと明かりが灯っている。「五時まで残業した」といえば、翌日午前五時まで役所にいたということだ。地方に赴任する人の送別会を午後九時にやるということも珍しくない。それでも、十一時頃に終わったあと、出席者の半数は役所に戻っていく。
  汚職や腐敗の頻度という点でも、日本の官僚は極めて清潔だと思う。たまに不祥事があるとマスコミに大々的に報道されるが、逆に言えば、それほど珍しいということだ。
  こういう人たちを「悪い人」だということは出来ない。
  しかし、だからといって日本の官僚に問題がないというのではない。問題はもっと深いところにあると言いたいのである。
  日本の経済も政治も行政も閉塞状況になっている一つの根元的な理由として、官僚機構があるとすれば、それは、個々人の問題ではなく、制度・機構の問題なのである。

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