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第二部 経済・社会を変える

第五章 官僚統制を完全撤廃

一つの役所の反対で何も決められない


  まず、官僚機構の中で働く個人の資質が十分に生かされているかというと、問題がある。
  日本の官僚組織は、優れた人を採用するという側面では、今日まで良好に機能してきたといえよう。もっとも、あまり知られているとはいえないが、高級官僚といえども、大企業に比べると、彼らの待遇がいいとは決して言えない。安い給料で、残業代もほとんどつかず、身を粉にして働いている、というのが彼らの実態である。その分、退職後に渡り鳥官僚として取り戻しているではないかと言われるだろうが、本当なら、退職後に天下りしなくてもすむような待遇を保証しなければならない。
  しかし、もっと大きな問題は、彼らのそうした優れた資質を、日本の役所はきちんと生かし切れているのかどうか、である。まず、先に述べたように、日本の官僚はあまりに忙しい。それは彼らの献身的な努力を示すものだが、反面、自由な時間が彼らにはない。家に帰ると寝るだけである。休日出勤も多いし、たまに家にいる日も、普段の疲れを癒すためにひたすら寝ている者が多い。これでは、家庭生活やレジャーに時間を割けないだけでなく、本を読む時間も、人と話をする時間もない。
  こうなると、どうしても世界が狭くなる。もっと勉強したい、そのために時間が欲しいという声は、若手官僚の間によく聞かれる。とくに真面目で熱心に仕事をする人ほど、そう言っている。
  一年間に読んだ本は所管する法令の解説書だけというのでは、どんなに優秀な者でも限界がある。彼らの潜在能力を伸ばせるような組織にすべきだ。
  また、憲法では公務員が「全体の奉仕者」だとうたわれている。しかし、それにふさわしい人材配置がなされているかどうかは、すこぶる怪しい。官僚がいったん各省庁に採用されると、そこを一歩も出ないで一生を終えるのが普通である。省庁間の出向など、たまに外部に出る機会があっても、いずれ「本籍地」に戻ることが予定されていて、例外はめったにない。
  出向者はいずれ元に戻るのだから、受け入れ省庁でも、微妙な機密に触れるような重要な職務はあまり与えない。出向者の手は出先の仕事をしているが、顔は本籍地の方を向いているわけだ。中には省庁の枠を越えた視野から仕事をする者もいるが、あまりそういうことをしていると、「本籍地」への忠誠が薄いとされ、将来に響く。そういうことでは、国全体を見渡した仕事をすることなど、土台無理である。自分の役所の仕事しか念頭にないと、つき合う範囲も狭くなり、どうしても視野が限られてきてしまうし、狭い範囲の利益にとらわれがちになる。
  役人が所属官庁の組織から一生出ないという仕組みには、別の面での問題もある。
  彼らは、前に述べたように、全体の利益を自分の利益より優先させるよう、訓練されている。だが、彼らは一生を同じ組織に所属し、その中で仕事をし、評価されて、出世していく。所属する省庁以外の立場からものを見る機会はあまりないし、その必要もない。そのため、利益を図るべき「全体」とは、日本という国全体ではなくて、自分の所属する特定の省庁という組織のことになってしまう。そのため、ある省がいったんその省の基本方針(省是)を決めると、それに反する方針を内部のものが唱えることは難しい。
  たとえば、大蔵省にとって均衡財政主義は省是である。財政赤字を出さないよう、出す場合もなるべく少なくするよう、大蔵省の役人は懸命に努力する。それは一面では健全なことだが、困った面もある。
  不景気の時に財政支出を増やそうとしても、大蔵省は一枚岩となって反対する。赤字財政を容認するような声が絶対に中から出てこないだけでなく、その根拠となる資料や情報も隠してしまう。そうなると、支出をどこまで増やせるかは、政治家や他の役所と大蔵省との力比べで決まることになり、全体的な見地から議論を尽くして決めるということができない。
  これは、あまり健全とはいえない。
  さらに、こういう状況のもとでは、各省庁が自己の省益にこだわるので、政策全体の総合的な調整が出来にくい。国の政策は、法律の下では閣議で調整することになっている。だが、実際の閣議の場を見ればわかるが、そこで政策を議論するということはほとんどない。大臣たちのすることは、決められた議案に署名することである。
  閣議は全員一致が原則で、大臣が一人でも反対すれば物事を決められない。そのため、閣議にかける前に水面下で役人同士が調整し、反対の出そうなものは出さないようになっているのである。
  そうした調整の場として、各省庁の事務次官による次官会議というものがあるが、その次官会議ですら、全員一致で決まらない議案は出さないように調整されている。法律の上では、閣僚同士に対立があれば閣議で議論すべきで、まとまらなければ首相が裁断することになっている。どうしても言うことを聞かない大臣がいれば、首相が罷免できることになっているのである。
  だが、そんなやり方をいつでも出来るはずがないし、実際にも、行われることはない。そのため、閣議には、どの省庁からも異論が出なかった無難な議案しか出てこないことになる。
  国全体にとってどうしても必要な政策であっても、ある一つの役所が反対すると、それだけで通らなくなってしまうわけだ。
  そういう場合に困るのは、各省庁が自分のところの「現状」を削られることに、猛烈に抵抗することである。あとで述べるように、役所にとって、法律で認められた権限、その執行をするための定員、そして、実際に施行するにあたって必要な予算の三つが、仕事を進める上でどうしても必要である。これらが削られるとその省庁の仕事が減ることになり、役所全体の力が落ちることになる。
  権限・定員・予算をむやみに削られないよう死守することが、官僚たちの本能である。
  だが、何かを改革しようと思うと、いままで認めれられてきた官僚の権限を見直さなければならないことが多い。そういうことには、官僚たちは死力を尽くして抵抗する。一つの役所が絶対反対の態度を決め込むと、閣議で決定することが出来なくなるので、「官僚が改革を阻む」ということになる。

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