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第二部 経済・社会を変える

第四章 「国家総動員体制」からの脱却

企業家精神が枯渇

  ところが、このような方式が、欧米へのキャッチアップを終えたあとでも、次第に洗練されながらも基本的に同じ形で継続したのである。
  その理由は、一つには、企業の勝手な活動は国民の利益の増進と矛盾する、国民は無知で弱者だから保護が必要である、という強烈な官主導意識があったことである。しかし、それ以上に重要なことは、企業にもメリットがあった。
  金融、保険、証券はいうに及ばず、電気、ガス、水道、運送業、酒類の製造販売、さらには公衆浴場にいたるまで、新たな事業を起こすには役所の許認可が必要である。
  これが参入規制である。
  企業は参入を認められると、業界団体に加盟し、事業を行う上で有形無形のメリットを受けることが出来る。また、参入規制がすでに行われていない産業においても、企業は業界団体に加盟することで、監督官庁の行政に協力する一方、事業を行う上で必要な情報やさまざまな庇護を獲得する。
  このため、参入規制の有無にもかかわらずほとんどの産業ではすべての企業が業界団体に参加することになる。これによって、企業は監督官庁とともに政策決定のインサイダーとなり、お互いのメリットを追求する。これに、自民党単独政権時代に形成された族議員が加わり、その産業への新規参入を試みるものはいうにおよばず、他の産業とその監督官庁、ひいては消費者をも蚊帳の外に追いやるという、排他的な政策決定が行われてきたのである。
  業界団体は、行政と政治に対して自己の業界に有利な規制、補助金、保護政策などの実現を働きかける。それらに応えることと交換に、行政当局は、業界団体を経由して市場動向や技術情報、各社の経営情報を得て、産業政策を効果的に行い、さらには、企業の監督や政策遂行の一部を業界団体に背負わせたのである。
  こういう仕組みのもとでは、インサイダーの一部が強硬に反対すると、その政策は実現できない。このため、官僚と族議員は、業界の既得権益の擁護に走り、加盟企業全体にとって利益になる政策が決定されがちだったのである。
  新たに企業が参入しようとすると、その産業を監督する行政当局は、それによって業界の秩序が混乱する恐れがある場合には、現状維持を好む傾向があり、参入条件を恣意的に運用して時間を稼ごうとしがちである。
  たとえば、大規模小売店の進出は、地元の小規模小売店の承認を得るのに極めて長期間を要した。運輸業界でも、既存の企業経営を圧迫するとの理由で、長期間にわたって免許が下りなかった例がある。
  監督官庁が業界の既得権益を守るという「信頼」関係があると、行政は将来の見返りを交換条件に、業界に必要な規制を導入したり、行政が望む企業行動を業界に押しつけるという行政指導も可能になる。この方法によって、監督官庁は法律に定められていない領域においても、影響力を行使するのである。
  こうした行政と企業の関係は、免許の与えられたインサイダーである企業にとっても、また、政策を遂行する上で政府にとっても、極めて好都合なものであった。
  しかし、新規参入を抑制され、競争は制限される。インサイダーとなった企業には、消費者が欲する商品をより安く提供しよう、将来の見込みある製品を創意工夫して開発しよう、そして、より多くの利益を得ようという企業家精神が萎えてしまう。
  このエネルギーは、許認可や補助金を求める後ろ向きの努力に変わってしまう。しかも、シェアが高いほど政府から多くの優遇措置を受けることが出来るので、企業は収支採算を厳密に計算せず、事業規模の拡大にひた走る。そして、参入を認められたからには、放漫経営で事業が行き詰まっても、その責任の一部は政府にあるという考え方で、ますますシェア争いが激化する。
  アダムスミスの国富論や、現在もアメリカやヨーロッパの企業が行っている競争とはまったく異なった競争が展開されているのである。これがもたらすデメリットは、消費者に大きくのしかかる。にもかかわらず、消費者には異議申し立ては容易に行えない。行政訴訟には巨額な費用がかかるからだ。
  こうした政府と企業との関係の下で、企業は、欧米のように株主のために利潤を追求するのではなく、年功賃金と終身雇用を維持するために成長を続けるという日本型経営が進められた。
  その資金は、主として銀行からの借り入れに頼ったのである。銀行にとっても借金した企業が借金を続け、シェアを拡大し、それに見合った行政の擁護を得て、その利子を毎年返済してくれれば、銀行は経営に行き詰まることはない。
  このように、政府と業界との特殊な官民関係が、消費者と株主、市場と企業家精神を軽視した日本型経済システムの根幹をなしてきたのである。
  企業家精神の萎えた産業界に未来を担う新産業が育つはずがなかった。その結果、既存産業についてアジアに追い上げられても、新しい産業を構築するどころか、かえってアメリカに水をあけられる結果となり、日本経済全体が構造不況に陥って、抜け出す道も見あたらない、という状況になっているのである。
  もちろん、経済の悪化と政治の混乱は大いに関係がある。村山内閣では、経済対策はすべてタイミングがずれており、なおかつ、理念の対立を棚に上げて、政権獲得という思惑だけで成立している野合であるため、効果的な対策はなに一つ決められないでいる。
  構造問題に加えて、政治の混迷がさらに景気の足を引っ張っているわけである。しかし根底には、もはや現在の経済体制ではやって行けない、という深刻な問題がある。

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