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生きた政治学ノートU
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(4)政治資金規正法について

政治改革の手段とは―

 政治改革の法的手段としては、選挙制度の改正、政治資金規正法の改正、そして公職選挙法の改正の3つが挙げられる。先に述べた「平成5年革命」においては、そのうちの選挙制度改正、すなわち小選挙区制度導入が政治改革の全てになっていた。

政治資金規正法の改正の方向―

 政治資金規正法はこれまで献金する側の総量規制を強化したり、献金額の上限を引き下げるための改正を繰り返してきた。しかし今回は企業から政治家個人(資金管理団体を含む)への献金の禁止という、政治資金の流れを変える初めての改正である。しかし企業から政党、あるいは政党支部への献金が依然として許されているため、国会議員などは政党の支部長という立場で、従来とほぼ同様に企業からの献金を受け取れる状態になっている。したがって企業献金の状況は以前とあまり変わっていない。この事態の改善のためには、政治家個人であろうと政党であろうと、企業献金の全面禁止に向けて検討することが必要となる。

アメリカのPAC制度―

 新たな政治資金規正法の改正で参考にすべきは、アメリカのPAC制度である。PACとはPolitical Action Committee「政治活動委員会」の略称である。この制度では企業から政治家個人はもちろんのこと、政党に対しても政治献金は禁止されている。全ては個人からの献金に限定されるが、実際は企業の幹部が複数社員の個人名を借りて、まとめて献金することが多いと指摘されている。つまり個人献金を装いながら、実態は企業献金とほとんど変わりない。アメリカのPAC制度にも多くの問題点を抱えているのである。

*アメリカに本拠地のある法人や労働組合は、特定の政党委員会や政治家を支援する目的で、独自のPACを設立することがPECA(連邦選挙活動制定法)で認められている。

斡旋利得罪の新設―

 政治資金規正法にこのような限界があるため、政治家と企業の癒着を防ぐには、新たな厳しい足かせが必要となる。「斡旋(あっせん)利得罪」である。例えばある民間企業が、国や自治体の発注する公共事業を受注できるよう政治家に依頼する。依頼された政治家はそれが実現できるよう、国や自治体の公務員に「口利き」や働きかけを行う。その結果として民間企業が受注したのちに、政治家に献金を行えば、献金の方法や金額がたとえ合法であっても、斡旋利得罪が成立する。この効果は公設秘書にまで及ぶ。

*斡旋利得罪を規定する斡旋利得処罰罪は、平成12年11月に成立したが、私設秘書にまでこの効果を拡大するかどうかは、私設秘書の定義が曖昧であることなどの理由によって、まだ結論が出ていない。


(5)公職選挙法の改正について

公職選挙法の目指すもの―

 公職選挙法とは大きく分けて、公職(各級議員や首長など)を選ぶ場合の選挙制度と、選挙運動の方法の2つを規定する法律である。選挙運動の方法については最近の改正において、候補者個人から政党本位の選挙方法へ大きく移行してきた。

*例えば衆議院小選挙区制度では、無所属の候補者は政党公認あるいは推薦候補者に比して、大変不利になる。選挙事務所、選挙運動用ポスター、はがき、ビラ、新聞広告、選挙広報、選挙運動用自動車、演説会等は基本的に候補者の公認、推薦政党にも認められるため、政党に関係する候補者は少なくとも無所属候補者の倍の選挙手段を持つこととなる。さらに無所属候補にテレビ、ラジオの政見放送が一切許されないことは、さらに不利となる。

許される選挙運動の内容―

 公職選挙法によって許された選挙運動の内容の概要は、およそ以下の通りである。

(前)…事前運動として許される運動 (公)…公示後も許される運動

・遊説車(個人、政党)による連呼、街頭演説(前)(公)
・政党活動としての集会告知用ポスター(事前ポスター)(前)
・個人用パンフレットや後援会入会申込書(事前パンフ)(前)
・法定ビラの配布(公)
・政見放送(TV、ラジオ)(公)
・公営掲示板用ポスターの掲示(公)
・政談演説会(政党主催)と個人演説会(候補者主催)(公)…事前運動としての集会は自由
・戸別訪問(前)…公示後は知人宅訪問のみ
・インターネットホームページ(前)…公示後は画面凍結
・限られた運動員への日当配布(公)…一日につき50人以内の事務員、運動員に対して、1万円以内の報酬を支給できる。これを上回る人数や常識以上の報酬は買収にあたる。
・会費をとった茶菓程度の接待(前)(公)…食事の内容に比して低額の会費は、供応と見なされる。

選挙違反の罰則強化―

 選挙違反に対する罰則は公選法改正のたびに強化されているが、平成6年の改正では連座制の厳格な適用が目立つ。「連座制」とは候補者と密接な関係にある者が、買収や供応(飲食のもてなし)によって、禁固以上の有罪が確定した場合、その候補者の当選の無効と、当該選挙に5年間立候補する資格を失うという制度である。密接な関係にある者とは、総括主催者=後援会長、主催者=後援会幹部や支援企業の社長など、そして家族や秘書(公設、私設を問わず)を指す。

*なお候補者の立候補が制限されるのは、違反を起こした選挙ならびに選挙区に限られるため、選挙の種類や選挙区を変えれば立候補できるなど、制度が不十分であるとの指摘もある。


Coffee Break T

なぜアメリカは、テロに狙われるか?

 そもそもは第2次世界大戦後、アメリカがパレスチナ問題の一方の主役・イスラエルを物心両面で強力にバックアップしてきたため、アラブ・イスラム世界と対立状態にあることが遠因である。
 2001・9・11のニューヨーク・テロに至る直接の道筋は、1979年のソビエト連邦のアフガニスタン侵略からはじまる。当時ソ連は、中央アジアの各自治州で頻発していた、イスラム勢力による暴動や反政府運動に手を焼いていた。これを制圧するため、背後から支援していたアフガニスタンにソ連軍を派遣し、組織を掃討する計画だった。その影響で1980年のモスクワ五輪は西側諸国が、1984年のロスアンゼルス五輪は東側諸国がボイコットするなど、スポーツ界にまでその影響は及んだ。
 1970年代後半は厳しい冷戦状態にあったため、アメリカはソ連との直接対決を嫌がり、自ら軍事行動をする代わりにアラブ・イスラム諸国の若者に呼びかけ、アフガンを救う義勇軍を組織させた。彼らには豊富な武器や資金を与えたためもあって、義勇軍は5万人にも膨らみ、アフガンの山間部を中心に活発なゲリラ戦を展開した。
 アフガン・ゲリラの戦果は目覚しく、10年後にはとうとうソ連をアフガンから撤退させてしまった。彼らは意気揚揚としてそれぞれの母国へ帰り、大歓迎されるものと信じていたが、その多くは「イスラム原理主義者」というレッテルを貼られ、煙たがられ嫌われる存在になっていた。彼らの中には「アメリカに使い捨てられた」との思いを持つものすら出てきた。
 その中に、サウジ・アラビアの富豪出身のウサマ・ビンラディンもいた。とりわけ1991年に発生した湾岸戦争で、母国がアメリカに前線基地を提供して、多くの米軍兵士を受け入れたことに激怒した。肌を出した米軍女性兵士がサウジ国内を闊歩する光景は、とても耐えられなかったはずである。
 ビンラディンはサウジに居場所がなくなったことを悟り、再びアフガンに戻った。アメリカへの怨念はさらに募り、やがて武装テロ組織「アルカイーダ」を組織して復讐の機会を狙っていた。今回のテロの直接の引き金は、アメリカのクリントン政権が中東和平にあまり積極的でなかったことに加え、ブッシュ政権がパレスチナ問題に極めて冷徹であったことだ。
 9.11テロの原因を分析すると、このような背景が浮かび上がる。アメリカ政府は国際世論を背に、テロ組織殲滅のためのアフガン掃討作戦を展開しているが、もともとの原因と思われる、アフガン義勇軍を組織していたアラブの青年たちの気持ちと名誉を何かの形で救わないと、同じことが繰り返され、第2、第3のビンラディンが生まれてくる危険性を孕む。

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