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第二部 経済・社会を変える

第六章 市場原理を第一にする

金融界と官僚統制の関係


  具体的に、どのような規制緩和を実施するか。とくに規制が問題となっている金融、航空、不動産の三分野について検討してみたい。
  金融については、先に示唆したように一九九三年四月から金融制度改革が実施された。これは、金利自由化の流れによって業務分野間の既得権益の配分が大きく変わったからであり、それに対応する調整といった面がある。そこには、時代の流れに対応しつつも、なんとか管理行政は維持していこうという姿勢がうかがわれる。
  すなわち、普通銀行、信託銀行、長期信用銀行、証券会社など各業態間の既得権益の配分を再調整するために、相互に参入を許すのではなく、それぞれの子会社が、垣根を越えて他の業態に進出するという方式をとっている。本体が直接進出することは許されていないのである。
  これによって、従来の各業態の業法を背景としたタテ割行政は、今後も続けられることになる。
  子会社方式での他の業態へ最初に参入が認められたのは、金融自由化によって銀行と証券会社の双方から既得権益を侵食された興銀などの長期信用銀行であった。ただし、その証券業務への進出は、中小証券会社の収益基盤である株式のブローカー業務や、転換社債やワラントなど、証券会社の既得権益の中心部は当分のあいだ除かれた。
  ここでも、強きも弱きもみんな守っていくという護送船団行政は維持されている。
  また、当初に参入が認められたのは興銀など三行であったが、その根拠は不透明である。
  ところで、参入を受けた証券会社にとっては、それまでの既得権益が侵される。そこで、証券会社には信託銀行子会社の設立が認められた。しかし、貸付信託、年金信託などといった信託業界の収益基盤の業務は除外されたのである。
  それでも、信託銀行は証券会社によって、いわば縄張りを侵害されることになる。そこで、信託銀行の証券進出が認められた。
  この金融制度改革は、利用者の便益の向上と国際的な整合性の必要が叫ばれる中で、十年もかかって成し遂げられたものである。しかしながら、十年かかっても結局は、金融各業界の既得権益は基本的に保持され、業態間の利害調整が行政によって図られるという構図はそのままなのである。
  一方、金融業界では海外で新しい金融商品が次々に出現している。金融業務が国境を越えるのは当たり前になっている現代では、日本も、この新しい動きに対応していかなければならない。
  ところが、現在のように業態間に垣根をつくり、護送船団方式で弱小業者をも守っていこうという金融行政では、奇妙な現象も起きている。
  たとえば、有価証券という名称がつくものは、証券業界の商品とされている。ところが、世界で新種の有価証券がぞくぞく誕生しているのだが、それをそのまま「有価証券」と呼べば、全て証券業界の商品となってしまう。それでは困るというので、どうしているかといえば、新種の有価証券は、たとえそれが世界の金融業務では有価証券の範疇に入っていても、敢えて日本では、有価証券に入れないのである。
  これは、証券業界以外の業態すなわち銀行や保険会社による抵抗や、それらを管轄する大蔵省の各部門からの圧力が強かったためではないかと想像される。
  挙げ句は、同じものが官庁や部門によって別々の呼び方をされるという、極めて奇怪なことまで起きているのである。
  これを見ても、業態ごとに官庁とそれぞれの金融機関が癒着し、インサイダーとなり、国民と企業を蚊帳の外に追いやるという官民関係は、先の金融制度改革でも全く改まらなかったことを示している。
  このように金融業では、業態の間に各業態の既得権益を守るための垣根が設けられている。その少々の変更であっても、各業態の既得権益は大きく変わり、これまで守られてきた業界の権益は脅かされ、その地位は後退してしまう。
  このため、護送船団行政で巨大な利益を得ている各業態のトップの金融機関は、垣根の維持と防衛に多大な資金と人材を投入し、自分の業態の利益の減少につながる制度変更を阻もうとする。また、護送船団行政の中で、船足の遅い中小金融機関は、既得権益を少しでも有利にしてもらうためか、大蔵省と日本銀行からの天下りを多く受け入れてきた。
  各業態がこういう行動をとるものだから、調停者としての官僚の役割はますます大きくなってしまう。そして、民間金融機関は、垣根を調整する行政当局に畏敬の念すら抱くようになり、行政指導に極めて従順になってしまう。そして、自らの業界の秩序をおもんじるばかりに、新商品や新しいサービスも行政の許可を得てから導入しようとする。
  いまだに、店舗の配置からポスターの枚数、景品にいたるまで、文字どおり「箸の上げ下げ」まで規制されている。
  こうしたぬるま湯の中での横並びの行動からは、制度改革の力はもとより、市場を重視して、国民と企業に報いよう、経営を改善しようという気運は銀行の中からは湧いてこない。さらに、大蔵省が免許を与えているので銀行はつぶれることはない、という神話によって預金者も銀行経営の健全性に全く無関心となっていることも、銀行経営の規律を失わせてきた。
  預金者からみれば、どこの銀行に預金しても同じであるということで、銀行は勢い本筋ではない競争に走ることになる。しかし、本当の意味での競争のない業界には衰退が待ち受けている。

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