[目次]   [前の頁へ]   [次の頁へ]

第一部 政治を変える

第二章 小さな政府で真の福祉を

高齢者の雇用を創出する方法

  しかし、私はこの種のボランティア活動が広く福祉活動に直ちに向かっていくとは考えていない。大震災のような衝撃的な災害の場合は、多くの人が立ち上がってくれるだろうが、通常の場合に、どれだけの人がコンスタントに活動してくれるだろうか。阪神大震災の場合でも、ボランティアに動いた人は、大半が、生活の心配がない学生である。医師や看護婦のほか建築家や大工さんのような特技の持ち主もボランティアに参加したが、一般の社会人はあまり参加しなかった。
  参加しないのではなく、参加できないのだ。その理由は、社会制度がボランティアに自由に参加できるよう整備されていないからだ。
  しかし、問題はそれだけではない。
  たとえ、社会制度が整備されても、果たして、通常の場合に、福祉に必要なボランティア要員を確保できるだろうか。恐らく、難しい。
  そこで私は、ボランティアをもう少し広く考えたい。
  ボランティアには、三つの型がある。一つは、本来の意味でのボランティアで、無報酬で任意に社会に対するサービス活動を行う。二つ目は、政府主導型のボランティアだ。これは、従来型の町内会方式が典型的だが、政府が先導して地域住民などをサービス活動に駆り立てる。三つ目は、マーケット型である。主催は完全に民間の非営利団体(NPO)だが、活動に参加した者には一定の報酬を支払うのである。
  このうち私が考えているのは三番目のボランティア活動だ。一番目の活動は全く個人の自発性に任されるもので、社会制度を整備するほかは、政治は必要な便宜を図ることはできても、具体的に手出しはできない。また、先述のように、通常の場合には、期待できる要員数に限界がある。二番目は、逆に政治が介入しなければ動かない。この場合は、政府が必要に応じて要員を動員できるというメリットがある。しかし、これでは官主導の日本型システムをそのまま継承することになる。
  その点、三番目のNPO方式は、参加者には報酬が与えられるので、通常の場合でも要員数を確保しやすい。また、完全に民間団体であるため、官主導ではなく民主導である。
  この場合、重要なことは、NPOの所轄省庁をつくらないことだ。もし特定の行政府に所轄させるなら、ボランティア活動を定義づけたり、活動要員の資格を定めるなど、さまざまな規則をつくる。行政府としては、所轄している以上、あれこれ口をはさむ責任があるからだ。
  したがって、NPOの認可は極力届出制に近いものにしたい。また、認可されたなら法人格を与え、動産、不動産を持てるようにする。もちろん、活動にともなう収益は免税とし、寄付金などについても優遇措置をとる。また、活動中に怪我をしたり、相手を傷つける場合もあるので、ボランティア保険制度など、補償措置を公的に整備しなければならない。また、会社員でも参加しやすいように、一般企業のボランティア休暇制度を確立したい。それにともなう税制措置も必要であろう。
  この制度は、いろいろな面で利点がある。
  まず、高齢者の雇用を生み出す。たとえば、ゴミのリサイクル、清掃、給食、老人ホームといった、これまで地方自治体が税金をつぎ込んで経営してきた分野に、NPOが高齢者を活用して進出することだって考えられるのだ。その結果、政府や自治体とNPO活動が競合することになってもよい。効率の悪い方が淘汰されるのである。結果として、政府の財政負担は軽減される。
  不況のため、とくに地方では第一次、第二次産業の衰退で、雇用先が減少し、中高年の失業が深刻化しているが、こうした人々の雇用吸収に大いに役立つ側面もある。事実、アメリカではこうした非営利・非政府組織が百三十万団体以上あり、GNPの七パーセント全雇用の十一パーセントを占めているといわれるのである。
  とくに高齢化という問題からみると、二重の意味でこの制度には利点がある。一つは、先に述べたように、高齢者の雇用を生み出すこと、もう一つは、高齢者の介護問題の解決につながることだ。
  介護問題の最大のネックは、人員確保である。公務員として大量の要員を雇用すれば解消する問題ではあろうが、そうなると、財政負担が大きくなる。また、職員を配置すれば、ある場所ある時期には職員に過剰な負担を強いる一方では、逆に、仕事がなくてぶらぶらする場合もある。その点、ボランティアは、必要な場所および時期に適宜に配置を変えることができる。
  おまけに、ボランティアは自発的にそのサービスに従事しているため、義務より使命意識が勝っている。それが仕事にも反映されて、介護サービスを受ける側にも喜ばれるのである。
  ボランティアに報酬が出ることに違和感を抱く者がいるだろう。
  確かに日本人的な美意識からすると、無報酬にこそ美学があるかもしれない。だが、実際問題として、そういう活動は永続していない。現在の老人介護に関するある調査によると、永続しているボランティア活動には何らかの報酬が付けられている。
  一つは点数制である。ボランティア活動の量を点数に換算して“貯金”し、自分が介護を受ける立場になったとき、それをおろすという仕組みである。しかし、ボランティア活動が盛んになるにつけ、このタイプは衰退しているようだ。
  もう一つは、十分な報酬を出すタイプである。これが最も伸びている。それはボランティアと呼べるのかという疑問はあるだろうが、同じ報酬でもボランティアと呼ばなければ人は集まらず、かといって涙金程度の報酬では人を集められない、というのが現実なのである。また、高齢者の雇用創出という点からみても、生活費になる程度の報酬は出すべきだと思っている。
  理想はどうあれ、現実に政治をやっていく人間として、私は、やはり現実に根ざした政策を構想したいと思うのである。

[目次]   [前の頁へ]   [次の頁へ]

HOME今後の予定はじめのOpinion政策提言本・エッセイはじめ倶楽部経歴趣味Linkはじめに一言

Copyright(c)1996-2003 Hajime Funada. All rights reserved.