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< 教育改革について >
 森本―今日は筑波学園都市に講演のために行って、行き帰りにラジオを聞いていると、参議院予算委員会の審議の総括で、教育のありかたについて総理が答弁されていた。総理は文部大臣をやっておられたのですから、得意な分野でもありますので、あえて質問が集中したのだと思います。私は財政構造改革と並んで、これから大事なのは教育とだと思います。戦後の我々の社会そのものが病気になって、その現象がいろんなところに出てくる。財政と教育というのをキチンとしておかないと、若い人に日本の社会を任せることはできない。つまり、財政と教育は我々の生きている時の、非常に大きな責任ではないかと思うんです。教育改革について、船田さんはどう思われますか?
 船田―大変大きな問題ですけれども、私も学校教育の一端を担って私学をやっているのですが…。
 森本―教壇に立たれたことはあるのですか?
 船田―それもあります。来年からまた大学で教壇に立つ予定です。
 教育制度を変えることはかなりやってきたと思います。ただやはり、なかなか変わらないのは、学校の先生と生徒との関係や家庭教育のあり方。あるいは地域社会がその地域に住んでいる子どもたちをどう教えていくか。そういった教育制度とは外れる部分にメスを入れないと、本当の教育改革ではないんじゃないかと思います。例えば、中曽根内閣の臨教審ですね。あれもいろんないいことを言っていたのですが、結局最後の答申として出たものは、学校制度の改革とか、40人学級とか、そういう制度の改革に終わってしまった。もちろんやらないよりはやったほうがよかったと思いますが、期待されたほどの成果は得られなかった。
 今、教育改革国民会議ということで議論をしていますが、その中を見ても制度改革のほうに流れていってしまっているのは、とても残念です。人間と人間の生のぶつかり合いをどう作り直していくのか、どう立て直していくのかということに、哲学の部分になるかもしれませんが、教育改革の中で議論すべきじゃないかと思っております。もう一つは、平等ということを学校教育の中で目指していきましょうということでやってきたわけですが、ただ、平等が行きすぎてしまうと子どもたちの個性もなくなってくるし、伸びようとしている子どもたちの能力を押さえつけてしまうということにもなりかねません。一概にエリート教育がすべていいんだということではないと思いますが、しかし、エリート教育をやる部分が今の学校教育のどこかにあってもいいのではないかと思っております。

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