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第二部 経済・社会を変える

第六章 市場原理を第一にする

「所有から利用へ」発想の転換を

  これからの住宅政策をどうするか。基本的には、市場を活用した政策にすべきだと思う。市場活用型の住宅政策である。
  政府が全住宅を供給することは不可能だ。どんなに財政赤字を覚悟しても、ごく一部の国民にしか恩恵は与えられないだろう。となれば、一部の困窮者を除いて、公的な住宅を供給することはやめるべきだ。そのかわり、住宅市場が機能するように制度を変える。
  その場合の基本的な考え方は、「所有から利用へ」である。
  これまで政府は持ち家の促進を住宅政策の柱にしてきた。そのための住宅金融公庫であった。しかし、これからはいかに自由に住宅を利用できるようにするか、という点に重点を置く必要がある。そのためには、賃貸でも条件のよい住宅に入居できるようにする。
  それを実現するためにはどうするか。それは、借地借家法の近代化である。
  これまでの借地借家法では、借りる側の権利が強すぎるため、いったん貸すと永久に貸さざるを得ない状態である。とくに、土地を貸したなら、地代の七割ほど支払わなければ戻ってこない。また、地代の七割を払っても戻るかどうか難しい場合がある。このため、地主は土地を貸したがらない。永久に土地を貸すならいいだろうが、何かの都合で自分で利用するとか、環境が変わってもっと収入のある計画を考えたとしても実現できないことになるからだ。
  アパートを建て、家賃収入を得るという場合はどうか。この場合も、入居者が正当な家賃を払っている限り、出てもらうことは半永久的に出来ない。このため家主はどうするかというと、良質で立派に家庭生活が送れるようなアパートや貸家は建てないのである。ほとんどが学生向けや単身赴任者向けなど、流動性の高い入居者専用のものとなる。この人たちは、四、五年もすれば出て行くので住宅の質は悪くてもいいわけである。
  また、ファミリー向けのアパートでも、結婚当初はいいが、子供が出来ると出て行かざるえない。そういう種類しか供給されていないのである。
  それでいて家賃は高い。なぜなら、現在の借地借家法では、このような劣悪なアパートでさえ貸し手が少ないため、供給が制限されているからだ。競争が少ないところでは価格が高くならざるをえない。
  借地借家法は、もともと弱者保護という名目でつくられた。このため、借りる方の権利を強くしているのだ。しかし、結果的にみると借りる側が損をしている。狭くて住み心地の悪い住宅に高い家賃で住むしかないからである。もう少し、借りる側と貸す側の権利にバランスをもたせてアパートや貸家の供給が多くなるようにし、競争させるようにした方がよいと私は思う。
  具体的にどう改正するか。土地については、「定期借地権」が九二年に実施された。これは五十年間の定期借地権で、借りて五十年後は更地にして返すという条件付きの借地権である。こうすれば、土地を貸す方も貸し易い。したがって、土地の供給も多くなることが期待できる
  そうなると、住宅の購入も非常に安くなる。たとえば、東京の五十キロ圏でいうと、国立市で三十五坪の土地を購入して家を建てるとすると約七千万円である。しかし定期借地権にすると、土地代は地価の三割ほどですむので三千五百万円から四千万円になる。約半額でマイホームが出来るのである。
  これで、遠高狭という問題はある程度緩和される。
  しかし、私はこれだけでは不十分だと思う。五十年という期間が長すぎるのだ。民間アパートの耐用年数は約二十五年である。これで、土地を借りてアパートを経営しようとしても、五十年借りても意味がないのである。契約の途中で建て替えないといけない。
  また土地を借りてマイホームを建てる場合、ライフサイクルを考えてみても、五十年は長すぎる。四十歳で家を建てても、五十年後は九十歳である。その頃には、引退してどこか地方に引っ込んでいるかも知れない。 
  貸す側にとっても、たとえば五十歳になって親から遺産相続を受けたとしても、五十年の定期借地権では生きているうちに土地は戻らない。

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