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第二部 経済・社会を変える

第六章 市場原理を第一にする

「規制緩和は安全を脅かす」のか


  遅まながら日本航空が取り組もうとしたリストラ(経営再構築)の第一歩が、アルバイト・スチュワーデスだった。スチュワーデスをアルバイトにして人件費を削ろうというものだ。これは、当時の運輸大臣の反対によって頓座しそうになったが、正職員への道を開けておくという条件で認められた。
  もっとも、市場経済メカニズムを貫徹するなら、規制で過大になったスチュワーデスの給与水準を引き下げるのが筋である。事実、アメリカでは、規制緩和によって競争が激化したとき、運賃が下がるとともに、乗客数が飛躍的に伸び、航空機を使った旅行がビジネスマンの社用族と金持ちのものだったのが、一般家庭にまで普及するとともに、スチュワーデスは高給の花形職業から転落し、普通の給料をもらうありふれた職業になった。
  規制緩和直後の過渡期には、スチュワーデスを含めて、首切りはおろか給料カットも珍しくなかった。しかし、日本的雇用関係のなかでは、首切りはおろか給料カットもできない。高給の正規スチュワーデスを採用停止するなかで、時給で働くアルバイト・スチュワーデスを採用し、実質的に給与の二重体系にしようというのが、折衷案として出てきたのである。
  その意味で、アルバイト・スチュワーデスの採用は、実質的な機内乗務員コストの削減の努力として評価できる。
  スチュワーデスという職種が、規制に守られたがために高収益会社の特殊な労働者たる「花形」から、大衆運輸手段の「普通の労働者」になってしまうのは、欧米ではすでに十年前から起きていることだ。アメリカやヨーロッパで飛行機に乗ればわかるように、ごく普通の女性や男性が、ごく普通のサービスをしている。若い人がいたり、妊娠中の人がいたり、子育てが終わったような中年女性もいる。
  統計によると、欧米の機内乗務員の給与体系は、他の職種(たとえば高校教師)に比べてかけ離れて高いということはない。統計がないので正確なことは分からないが、日本では、二十歳代半ばのスチュワーデスが、三十歳代半ばの一流銀行員の給与水準だという。もちろん、高校教諭はおろか、大学教員の給与水準をはるかに上回るものになっている。しかも最近まで、空港までハイヤーで送迎されていた。現在はタクシーになっているようだ。
  もちろん、機内のサービスを含めて労働内容は特殊な訓練を積まなくては出来ない仕事であることは確かだ。また、日本の航空会社は一様に、きめ細かい、気配りのきいたサービスを看板にしている。しかし、機内サービスにしたところで、国内線のような、一〜二時間の短距離路線で、いったいそれほどのサービスが必要だろうか。
  飛行機の利用が、大衆に拡大するなかで、スチュワーデスという職種が大衆化するのはやむを得ない。これは、航空業の規制緩和による大衆化と、他の職種への女性進出、たとえば高級官僚や一流企業の総合職への女性登用などがある流れのなかで、自然に起きることである。いつまでも、スチュワーデスを若くて美しく、賢くて気配りもできるように訓練された女性だけの、特殊な職種と考えるのは、発展途上国型の運輸行政から日本が脱却していない象徴であろう、と私は思う。
  ところで、規制緩和に抵抗する人々が決まって口にすることは、安全性である。規制緩和すれば安全性を脅かす、というわけだ。
  しかし、この議論は、規制の下で楽な利益をむさぼろうとする人たちの、利用者に対する巧妙な脅しである。
  規制緩和になると競争が激しくなり、安全性を手抜きする、というのが彼らの論理である。しかし、少し考えてみると、この論理は穴だらけだ。
  第一に、安全性の規制は、路線権や運賃などの「経済規制」とは全く別の体系で行われており、経済規制の撤廃が安全性に影響を与えるわけではない。安全性の規制はこれまで通りに行う必要があり、いっそう強化しなければならないだろう。
  しかし「超過利潤を生み出せば、会社は安全性に気を配り、利潤幅が薄くなれば安全性への手を抜く」というのは、あまりに会社の行動原理を単純化しすぎている。また、規制下では往々にしてある路線は一社独占的に路線権が与えられている。そこで事故が起きても、乗客に選択の自由はない。事故を起こした会社の便に乗りつづけなければならない。
  規制緩和になり、同じ路線を飛ぶ航空会社の数が増えるなど、競争が激しくなれば、航空会社の評価が大きく業績に反映するようになる。安全性に手抜きをするなどということで評判を落とせば、直ちに客は競争相手に逃げてしまうだろう。
  第二に、規制緩和を行った欧米の航空業で、航空機の事故率が上がったという結果は出ていない。事故の原因は、機長の判断ミス、管制官の判断ミス、機材の整備ミスの三種類によるものがほとんどと言われるが、規制緩和によって、事故率が上がるということは、論理的にも経験的にもないのである。
  規制をしていても事故をゼロに出来ないことは、規制で黒字を出していた日本の航空業界で実証ずみだ。
  規制緩和と安全性をつなげようとする議論は、規制を維持したい人々の言い訳にすぎない。
  運賃や路線の規制をしている官僚ポストを削減し、安全性の強化のためのポスト、たとえば航空会社のパイロットの健康管理、機体整備、修理などの抜き打ち検査要員、管制官やその健康管理などの要員を増強するほうが、日本の空はよほど安全になる。
  いったい、運輸省が路線、便数、運賃を監督することの意味があるのだろうか。航空会社が経営判断で路線ごとの便数、運賃を決めて何の不都合があるのだろうか。かえって、規制緩和によって利用者に大きな便益をもたらすことは、アメリカやヨーロッパの例が示している。 
  まず、規制緩和によって、運賃にもいろいろな種類が登場する。規制緩和によって一様に運賃が下がるのではないのだ。運賃は利用状況、利用者の要求に応じて、様々な形態を取ることになり平均運賃は下がる、というのが正確だ。 
  最近でこそ日本でも運賃体系に少し工夫がなされるようになってきたが、相変わらず、季節、曜日、時間帯によってそれぞれ異なる需要の変動に十分応えることができていない。閑散期の早朝便など、ガラガラのジャンボ機が飛ぶ一方、ピーク期の日中便は積み残しが出てきて、空港は空席待ちの客でごった返している。
  規制緩和の進んだ欧米では、家族旅行・レジャー旅行向けなら十分活用できる制限付き切符を、正規の運賃の五割引から七割引きで販売している。条件は、二週間前に購入し、土曜日を旅先で過ごし、購入後は払い戻し不可あるいはペナルティ付き、というものだ。
  値段だけでなく、この大幅なディスカウント用の席数を、季節、曜日、時間帯によって微妙に変化させることにより、実質価格を頻繁にしかも個々の便ごとに変更している。毎日の予約の入り具合をみながら、運賃を調整し、実際の搭乗日までには、できるだけ需要を分散して一人でも多くの顧客を乗せようとするのである。
  ちなみに、アメリカでは、空席待ちで空港が混雑することは、天候などにより欠航が出た場合を除いてほとんどないという。これも、数カ月かけて価格が変動する市場メカニズムが受給調整をするからである。これに対して、運輸省が特定路線への参入を考慮する場合に参照する「需給要件」は、価格変動による需要の変動を科学的に分析することもなく、季節、曜日、時間帯も無視して、単なる過去の実績トレンドを将来に伸ばすものでしかない。
  この「需要要件」−需要がなくては新規参入は認めない−という制度は、航空業に限ったことではない。トラックの路線免許や、タクシー認可など、運輸業全般にあてはまるし、もっといえば、大店法の運用や金融機関の支店設置などでも行われてきたことである。
  アメリカでは、料金が高くても利用するビジネス客には高い料金を、安くなくては旅行に出ない家族には安い料金を設定することにより、全体として利用客の大幅な増加が可能になったことを思い起こすべきである。ニューヨークからロサンゼルスまでのアメリカ大陸横断便は、片道六時間以上もかかる長距離路線だが、普通料金で往復千二百ドル程度、しかし前述のような条件を満たす家族旅行用の運賃は、往復で三百ドル程度のことが多い。
  規制緩和に反対する人たちの中には、同じ便に乗りながら支払った料金が三倍も四倍も違うことがあるという「差別的」料金設定は、「公平性」に反すると考える人がいる。そうだろうか。航空料金には、飛行機に乗せて目的地に運ぶというサービスのほかに、予約から発券、予約変更の可能性とその容易さ、搭乗手続き、待ち合い時間などすべてのサービスが含まれている。
  予約変更を認めるか認めないか、認めるとしていくらのキャンセル・ペナルティを課すかなどで航空料金が違うのは当然である。これは、銀行で普通預金よりも定期預金のほうが金利が高いのと同じことだ。定期預金は、一定期間「解約しません」と顧客が約束することで、有利な条件(この場合は高い金利)を獲得するのである。

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