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第一部 政治を変える

第三章 しなやかでタフな社会の構築

複眼国家がいい


  このように政治のコアが全国各地にできるなら、国際関係のあり方も変わってくる。
  逆説的な言い方だが、私は、政治が地域密着になればなるほど、グローバル化が進展すると思っている。その傾向はすでに出ている。
  最近は、政府とは異なるルートで国際的な活動が盛んである。それらの活動団体は、非政府組織(NGO)と呼ばれている。政府による外交と違って、国家間の関係を超えた活動なので、自由に活動できる。非核化や環境保護など、政府が動きにくい分野で自由に活動し、成果を上げている。
  しかも、動きが早い。互いに共通の目標ができれば、すぐ連携して行動できるからだ。国や自治体同士の公的なルートは、形式や手順を踏むためにどうしても動きが鈍くなるが、民間のこうした団体は、思い立ったその日から行動できる。
  こうみると、私は、国民国家という枠組みは次第に形骸化するのが歴史の流れではないかと思う。
  民間団体のこのような動きに並行して、都市と都市、町と町、村と村などといった自治体同士が国境を超えて手を結び、そこに独自の国際関係をつくっていく。たとえば、新潟がロシアのウラジオストックと手を結び、独自に経済交流や文化交流を深めるのである。
  地方分権が進めば進むほど、これは極めて実現性が高い。そこで中心的に活動するのが、地方政党ということになるだろう。
  こうなると、国の機能は量的にも質的にも変わってくる。日本列島の各地に政治および行政の中心が生まれ、独自の動きを示すようになる。もちろん、中央政府には国土の保全や危機管理、外交など全国ベースの仕事が残っている。
  しかし、これまでのように地方を支配することはありえない。あくまで機能の分担であり、上下の関係ではないのである。
  こうなると、国民国家とはいえない。敢えて国家という概念を使うなら、複眼国家ということになる。政治家としての私の役割は、この時代の流れを沿うよう国を造り変えることだと信じている。
  そのためには、単に国の制度を変えたり、政党を再編成するだけでは十分とはいえない。新時代に活動できる人材を育成しなければならない。 
  私は、経済や政治改革や国際貢献などの論議が盛んな中で、教育問題が政治課題としてマイナーな扱いを受けていることを非常に恐れる。教育の中身を議論すると、すぐに、政治的な中立性を損なうという理屈が出てくる。しかし、国民がいなければ国家は成り立たない。「教育は国家百年の大計」といわれるように、極めて重要な国家戦略であり、政治家が積極的に議論しなければならない課題である。
  日本の教育は、国民が皆、読み書きができるということが明治以降の近代化の基礎となっており、これが効を奏して世界でも希にみる経済成長を遂げてきた。このことは、国際社会において一種の神話になっている。
  ところが、そうした素晴らしい財産は、もうすでにほとんど食いつぶしているのが実情だ。教育の結果は二十年、三十年先になってからしか出てこないので、ここで改革・改善をしなければ、気がついたときは取り返しがつかなくなっている。
  最近は、中曽根内閣で臨時教育審議会を設置し、教育改革に取り組んだが、「教育の自由化」を掲げたこの臨教審は、騒がれた割りには実際の教育にあまり反映していない。私は、イベント的な改革ではなく、地道な改革を提唱したい。 

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