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第一部 政治を変える

第一章 国民を主人公とする政治


二大政党政治は救世主か

 個人主義的改革と日本型システムの対立は、一見、小さな政府と大きな政府との対立のようだが、 これは正確ではない。財政規模からみれば、現在の日本政府は欧米諸国と比べれば、どちらかといえ ば小さな政府なのである。むしろ日本の場合は、政府の規模の大小より「口出しする国家」をどう考 えるかという問題だ。
 たとえば、福祉政策に関して、できるだけ制度を集約して一般的なルールに置きかえ、政府による 個別介入をなくす方向で改革を進めるか、これまでどおり個々の面で介入を続けるかの選択である。
 雇用政策では、この対立はさらに鋭くなる。日本型システムでは、企業に補助金を出して雇用の確 保を図る雇用調整助成金制度が実施される。これは失業率を低くするのに有用だが、他方では職場の 移動を妨げ、労働市場の形成を抑えてしまいがちだ。
 個人主義的改革をする立場からすれば、終身雇用を助成するのではなく、個人がそれぞれの人生を 選ぶのを支援するという意味で、個人を対象とする失業抑制策をとるべきだ、ということになる。
 税制を見れば、社宅など企業の福利厚生策を優遇し、交際費なども経費として認め、数々の租税特 別措置を持つ税制が、企業を中心とする日本型システムを支えていることは疑いない。これに対して 個人主義的改革は、こうした税制をできるだけ一般性のある制度に置き換えて、企業が福利厚生に支 出する経費を個人所得に組み替え、個人の選択にゆだねることを目指す。
 このような内政における対立は、外交における対立に結びつく。非常に単純化すれば、対米協調か ナショナリズム・アジア主義かということである。
 市場経済、自由貿易を重視する個人主義的改革の外交は国際協調が基本である。国際協調は、理屈 の上では多様なものがあるだろうが、現実の国際政治の場面ではアメリカの存在が大きく、国際協調 に関して具体的に提案できるのは、まずアメリカである。
 また、アメリカは民主、人権、市場という価値観を外交政策のベースにしており、日本もその価値 観を共有して、これまで対米協調を外交の基本政策としてきた。この路線は今後も変える必要はない と私は思うのである。
 逆にナショナリズム・アジア主義という立場は、日本独自の「平和主義」を掲げ、対米追随を批判 する立場である。この「護憲平和」路線からすれば、平和憲法を掲げて世界の国々と協力するのが真 の国際協力だということになる。しかし、現実の国際政治の場面では、具体的な政策を打ち出すのは 難しく、結局、アメリカの進める政策を批判したり、非協力の姿勢を示すに終わる。
 これをナショナリズムといえば拒否反応があるだろう。しかし、日本にしかない「平和憲法」と被 爆体験を特権的に振りかざし、特殊性を強調する発想は、明らかにナショナリズムである。内政にお ける日本型システムを評価しその継続を願う立場も、突き詰めれば、日本の独自性を強調する点で、 ナショナリズムとしての側面を持つ。
 もっとも、国際協調という言葉は、この人々にとっても魅力があるため、否定はしない。そこで反 米主義の裏返しとして「アジアとの連携」を掲げることになる。中国をはじめとするアジアの国々の 中には、アメリカとの交渉を有利にするうえで日米離反を好ましいと考え、こうした立場の政策を支 援する可能性があり、それに利用される懸念がある。
 このように、個人主義改革=国際積極主義=対米協調と、日本型システム=護憲平和=ナショナリ ズムという大きな対立軸は、かなり鮮明に描くことができるのである。かつて活発に動いていた自主 憲法制定を目指す人々も後者の系列に入る。平和憲法派も自主憲法派もともに独自性を協調する点で 共通の地盤に立っているからだ。社会党左派の村山氏を首班とする政権に自民党タカ派の石原慎太郎 氏らが積極的に支持したのは、そうした理由によると思う。
 このように、一方で対米協調と個人主義的改革を唱える改革勢力、他方で独自外交と日本型システ ム維持を目指す戦後体制維持勢力が、それぞれ政党の形をとって競い合うという、二大政党政治が生 まれる素地があるわけである。
 なぜ二大政党でなければならないのか、三極でもいいではないかという疑問が出されるだろう。し かし、議院内閣制のもとで政権交代がなされることを前提にすれば、政治の機軸は、政権側と野党側 との二極対立になるのである。選挙の時だけ三極で、政権をつくる段になって任意の二党が政権をつ くるということになると、選挙の意義を低下させ、民主主義を弱体化する可能性がある。
 そういう視点から政界を展望すると、現在の自民党、新進党、社会党、さきがけなどがそのまま存 続することはありえない。実際、社会党やさきがけはリベラルな第三極を目指して新党結成へ動いて いる。しかし、私の考えでは、リベラル的な勢力は当面、第三極を形成できても、いずれ消滅するだ ろう。
 だからといって、現在の自民党と新進党がそのままで固まることはない。それぞれ党内に政策的な ねじれを抱えている。いちど小選挙区制での総選挙を行い、それに勝ち上がった政治家同士で、新た な政界再編成が起きるのではないだろうか。
 その時の対立軸として、私は、個人主義的改革か日本型システムの存続かを想定しているわけであ る。

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