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2000年4月27日 これまで当調査会において、憲法制定過程についての検証を重ねてきましたが、 「押し付け」であったかそうでなかったかを確定することは、結局意見の分かれるところで、あまり生産的ではないと思います。戦後生まれ世代の私の立場としては、生まれる前から既に憲法が存在しており、
しかも戦後50年にわたって日本社会の規範を形成してきたことを重視したいと思います。即ち憲法は、「良くも悪くも」日本社会に定着していると認識しております。
しかし、かといって私は憲法を一字たりとも、改正してはいけないとの立場はとりません。何日も着続けている洋服と同様に、改正されない憲法はあちこちに綻びや汚れをためてしまっています。綻びや汚れ、即ち現代の日本社会に合わなくなったところは、度重なる政府見解や、内閣法制局の「有権解釈」で凌いできたというのが現実だろうと思います。しかし最早解釈にも限界が生じてきているし、そう簡単に解釈を多用しては、憲法本来の安定性に欠ける事態が生じ兼ねないわけです。 そこで必要な改正はきちんとしなければなりませんが、全面改正や新憲法制定というやり方は国民の間に、不必要な懸念を起こす恐れがあります。私は「主権在民」 「基本的人権の尊重」 「平和主義」という現行憲法の三原則を堅持しつつ、改正が必要とする部分について大いに議論して「部分改正」するという手法が望ましいと思います。 次に、改正点の基本的考え方について、私は以下の5点を指摘したいと思います。 第1に、前文については全体的に翻訳調を改めるとともに、主権在民や平和主義といった基本的な精神を述べた個所は残すべきです。但し平和主義も自衛権すら認めない表現や消極的平和主義を改め、「自分の国は自分で守る」といった防衛意識を醸成する表現や、国連の行なう平和維持・創出活動に積極的に参加するという能動的平和主義の表現に改めることは云うまでもありません。 さらに我が国の世界に誇れる伝統や文化を継承し、美しい自然環境を守っていく精神をきちんと表現して、無国籍でなく日本国籍の憲法にしなければなりません。 第2に9条1項の、いわゆる「侵略戦争の放棄」は人類普遍の原理であって、これはそのままにするとしても、2項は例え「前項の目的を達成するため」という芦田修正があっても、解釈に不安定さが残ります。個別的自衛権の行使が認められることはもちろん、国連中心の安全保障活動、 あるいは集団的安全保障の枠内での活動もなるべく幅広く認めるような条文にすべきです。なお集団的自衛権の行使を明文化するには、時期尚早と考えます。 第3に国民の権利と義務規定を整理・追加する必要がありますが、まずは「環境権」と「個人のプライバシーを守る権利」の追加です。前者は「国民は良好な自然環境のもとで生活する権利を有する」 とか、「良好な自然環境を将来に残す義務を有する」と表現できます。後者は情報公開制度の根幹である「国民の知る権利」と一対をなす形で導入すべきです。 第4に大規模災害や極東・周辺有事、あるいはつい先ごろ適用された「総理大臣が欠けたとき」など、国家としての緊急事態に対応する規定が憲法にはありません。我が国では過去何回か超法規的措置で切り抜けてきましたが、今後誤用や濫用によって国家の存立を危うくしないためにも、憲法の中に非常事態における総理や政府の役割を明定しておく必要があります。 第5に憲法改正手続きが極めて困難であるために、必要な改正が適時適切に行なわれないのでは、却って憲法の信頼性を損なう。もう少しハードルを下げる方向で修正すべきです。 以上のような点を中心に国民世論を巻き込んだ「論憲」を国会がリーダシップをとって、3年後を目途に改正案を国民に提示し、5年後を目途に改正手続きを行なうべきと考えます。
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