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国の最高法規といわれている日本国憲法が作られてから、かれこれ57年が過ぎようとしています。服に例えれば57年間もずっと着たままだったため、あちこちが汚れ、ほころびが目立ってきました。そろそろ着替える時を迎えたと思われます。
憲法をめぐっては、主に二つの議論がこれまで闘わされてきました。一つは「不磨の大典」説。私たちは子どもの頃の社会科で、よく三原則というのを教え込まれました。平和主義、国民主権、基本的人権の尊重です。たしかにこの原則はいつの時にも大事なもので、変えてはいけないと思います。でもこの説を唱える人々は、世界で一番素晴らしい理想的な憲法で、一字一句たりとも変えるなと声高に主張してきました。
もう一つは、GHQの占領時代に押しつけられたのだから、一刻も早く日本人の手によって改正すべきとする「押しつけ憲法」説。確かに憲法制定過程をひもとくと、当時の日本政府が作った憲法草案がことごとく斥けられ、マッカーサー草案がわずかな議会審議で決められてしまいました。
この両論は戦後長いこと、東西冷戦や自民・社会党の対立の道具として利用されてきましたが、妥協できる部分がどこにもありませんでしたので、全く不毛の議論だったのです。
そこで私は第三の道を選びたいと思います。「憲法古着説」とでも言うのでしょうか。今の憲法は確かに押しつけだったかも知れない。でもその後長いことかかって国民の間に定着してきた。ただ制定から60年近く、日本社会も大きく変化してきた。そろそろ私たちは古着を脱いで、21世紀にふさわしい新しい服を着る頃ではないか。もちろん私たちの生活をより豊かにするための道具として、憲法をもっと身近にしていくことも忘れてはなりません。
それでは一体、憲法のどこをどう変えるべきでしょうか。
まずは前文。「名誉ある地位を占めたいと思ふ。」など格調高い部分もありますが、全体的に翻訳調になっており、とても読みにくくなっています。日本の伝統や文化を守ることや愛国心を書き加えることも大切です。
有名な第九条では、少なくとも自衛隊の存続が率直に読めるようにすべきですし、集団的自衛権の行使も一部認めるべきです。
国民の権利としては、新たに環境権やプライバシー権を追加するほか、意味が曖昧な「公共の福祉」をもっと明確にすべきです。生命の尊厳や生命倫理といった新しい概念をつけ加えることも重要です。
さらに議論の分かれるところですが、国会の二院制のあり方や首相公選制についても、きちんと結論を出して改正作業に取りかからなければなりません。私たちは憲法をもう一度手元に引き寄せるべきではないでしょうか。
この原稿は、古泉会機関誌「古泉」第17号に掲載するものです。
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