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死刑制度と国民投票

 平成7年は多くの日本人にとって、負のイメージにつながる年である。年明けてまもなく1月17日未明、阪神淡路大震災が発生し、6千人を超える犠牲者を出す大惨事となった。3月20日には、麻原彰晃率いるオウム真理教メンバーが犯罪捜査を食い止めるため、霞ヶ関を標的とした地下鉄サリン事件を引き起こした。天災と人災が相次いだわけだが、いずれも前代未聞の出来事で、日本中いや世界中を震撼させたことは、記憶に新しい。

 あれから23年、一連のオウム裁判が終局した半年後、麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚はじめ、教団元幹部7名の死刑が執行された。平成の御代が代わろうとするいま、平成に起こった凶悪事件の残滓を払拭する意図もあったようだ。組織的犯罪の故に、逃亡していた犯人の審理が終局するまでは、刑の執行が出来ないという理屈は分かるが、被害者やそのご家族の心情を考えるとき、余りにも長い月日が経ってしまったのではないか。

 新聞各社は死刑執行の記事とともに、死刑制度に対する海外からの批判や懸念を紹介している。ロンドンに拠点を置くアムネスティ・インターナショナルをはじめ、死刑制度を放棄したEU各国や国連からも、日本政府に対して制度の廃止を要求されている。確かに死刑のある国は世界で3割。多くの国は無期懲役を最高刑としている。冤罪により、無実の人を処刑する誤りを回避することも大切だ。

 しかし我が国では最近の世論調査でも、8割の国民が死刑制度を容認している。その理由としては、死刑という厳罰によって犯罪の抑止につながっていること。再犯を防止出来ること。被害者や家族の心情を少しでも癒すことが望まれることなどが挙げられる。さらに言えば「命を絶って償う」という武士道精神や、日本人の死生観が背景にあるのかもしれない。世界標準に合わせろという声は今後も強くなるだろうが、それに答えるにはさらなる国民的議論と時間が必要だろう。

 かつて臓器移植法の改正の際、「脳死を人の死とする」ことについて、国会で大いに議論された。最後は国会議員一人ひとりの倫理観を尊重すべきとして、党議拘束をかけず自由投票にしたことを思い出す。画期的な方法だったが、その際私は、「果たして国会議員だけで、この問題に決着をつけることで良いのか?」「国会議員は国民の負託に応え、国民を代表してあらゆる表決に携わるが、国民の意思の全てを把握してはいないのではないか?」と自問したことも思い出す。

 この問題を解決するには、「国民投票」という手法が考えられるかも知れない。現在法律で認められている国民投票制度は、憲法改正の場合に限られるが、国政の重要課題や国民全体の倫理観に依拠するような課題についても、この手法は有効かも知れない。11年前に憲法改正国民投票法を議論していた時も、「一般的国民投票制度」の是非を議論したことがある。

 その際は何を国民投票にかけるかという基準設定の問題や、そもそも代議制民主主義を否定するものではないかとの疑問も呈され、議論はほとんど進んで来なかった。さらなる慎重な制度設計が求められる。しかし今回のように「死刑制度是か否か」の議論が湧き上がった時、国会が全てを決めるのではなく、広く国民の意見を聴く手段を持っていることは、成熟した民主主義国家として望ましい姿なのかも知れない。

[ 2018.07.09 ]
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