はじめのマイオピニオン - my opinion -
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中曽根元首相を追悼して

 去る11月29日、中曽根元総理が101歳の天寿を全うされた。私は中曽根内閣において、当時の総務庁政務次官を経験しており、常に親しみを持って謦咳に触れていたため、殊の外寂寥の感を禁じ得ない。

 中曽根先生は戦後、新憲法下で最初の衆議院選挙で当選し、青年代議士として颯爽と議政壇上に登場した。戦前は海軍主計士官だったため、「青年将校」という異名ももらったが、ご本人は意に介さず、憲法改正をはじめ国の形を作るような、大上段に構えた議論を好んで展開された。

 特にレーガン大統領とは、「ロン・ヤス」と呼び合うほど個人的にも親密な関係を構築し、日米同盟の深化に多大な貢献をした。現在の「ドナルド・シンゾウ」とは比べ物にならないほどの親密さだった。ただ気持ちが大きくなり、記者会見の場で「日本列島は不沈空母である」と述べ、失笑を買ったこともある。

 また政治家としてとても強い意思を持っており、行政管理庁長官の時には行政改革に不屈の精神で臨み、国鉄民営化など見事な成果を収めたことは、我々の記憶に鮮明に残っている。「メザシの土光さん」こと経団連の土光敏夫会長との二人三脚も見事な立ち回りで、「土光さん、やろう!」というキャチフレーズは一世を風靡した。

 中曽根先生は堅物と言われた反面、柔軟な態度も持ち合わせていたという印象が、私にはある。中曽根内閣の昭和61年の衆参ダブル選挙は「死んだふり解散」と騒がれたが、自民党は大勝した。その際「自民党は左ウイングに支持を広げた」と述べことは意外だったが、確かに野党の票を食っていたことがわかった。柔軟でしたたかな計算が背景にあったのだろうか。

 読書家で弁が立ち、文化的素養も兼ね備えた中曽根先生は、とても稀有な政治家だった。私も含め、今の政治家にはない品格を備えていた。見習わなければならない。あらためて中曽根康弘元総理のご冥福をお祈り申し上げたい。

[ 2019.12.09 ]