F-Project.web 自由民主党 船田はじめ
 
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卒業生に贈る言葉
 

[2010.3.8]
 去る3月1日、私が理事長をつとめる作新学院高校の、恒例の卒業式が挙行されました。私にとっては作新学院につとめて以来31回目の卒業式となりますが、卒業生にとっては人生たった一度きりの高校卒業式。卒業生の心に残る言葉を選んで、院長として祝辞を述べました。

 ―――卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。作新学院は多くの先人たちや関係各位の努力によって、今年で125年という長い歴史を刻むことが出来ました。「伝統」に根ざした教育が私たちの第一の特徴です。もうひとつの特徴は、「作新民」という建学の精神に基づく、新しい人材、新たにする人材を作り出していく、「革新」による教育です。
 この二つの相反する要素が絡み合って、作新学院の独特の教育が成り立っているのです。私はこれが作新学院の強みだと考えます。厳しい世の中にあって、皆さんはどうぞこの強みを生かして、大学や社会において思う存分活躍してください。
 さて皆さんに、いくつかの「はなむけの言葉」をお贈りしたいと思います。
 ひとつは「コップの中の半分の水」です。私の前の机の上にコップ半分の水が入っているとします。のどが渇いて半分飲んだからかもしれません。ある人は「ああ、もう半分しか残ってない」と、悲観的になるかもしれません。またある人は「まだ半分あるじゃないか」と、前向きに考えるかもしれません。
 「コップ半分の水」は万人に共通ですが、見る人の気持ちによって楽観的にも悲観的にもなるのです。どうか皆さんはせっかくの人生ですから、何ごとも前向きに考え、とらえていける人間になってください。
 もうひとつは、バンクーバー・オリンピックの男子フィギュアスケートで銅メダルを取った、高橋大輔選手の言葉です。「今回銅メダルを取れたのは、ずっと金メダルを取りたいと思って頑張ってきたからだ。もし最初から銅メダルでいいやと思っていたら、決して銅メダルすらも取れなかっただろう」と。
 たかがスポーツといいながら、高橋選手の言葉は私たちの人生に大変重い教訓を与えてくれました。常に高みを見ながら努力していく態度は、その人を必ず高いところまで持っていってくれるはずです。世界第2位ではだめなのです。第1位を取ろうと思うところに進歩があるのです。
 卒業生の皆さんの前途が幸多きことを祈りながら、お祝いの言葉といたします。―――


バンクーバー・オリンピックに拾う
 

[2010.3.1]
  連日熱戦が繰り広げられているバンクーバーの冬季オリンピック、日本人選手の活躍も報じられていますが、話題を2つ挙げてみます。
 まずは日本初の男子フィギュア銅メダルをとった高橋大輔選手。これだけのプレッシャーをはねのけ、最初の4回転ジャンプに失敗したあと、大変落ち着いてプログラムをまとめたことは、褒めても褒めすぎることはないでしょう。
 特に私は、メダル獲得後の彼の言葉に感心しました。すなわち「最初から金メダルをとろうとして必死に頑張ったから、銅メダルを取ることが出来た。もし銅メダルでもいいやと思っていたら、メダルすらも取れなかったかもしれない」と。たかがスポーツとはいえ、この言葉には我々の仕事や人生の目標設定に、多くの教訓を与えてくれています。高橋選手にはどうかこの気持ちを忘れずに、今度は本当に金メダルを目指して頑張ってほしいと、率直に感じました。
 一方、日本選手団の制服着用が乱れていた、スノーボード・ハーフパイプの国母和宏選手。大技を失敗して惜しくも8位入賞に終わりましたが、「自分のスタイルを貫くことが出来た」と、満足げに語っていたことが印象的でした。
 制服の乱れについては国内でも様々な波紋を呼びました。制服をはじめしつけ教育を厳しくしている私学経営者の私としては、子どもたちに示しがつかないものと困ってしまいます。しかしながら国内のバッシングはかなり過激なもので、特に匿名のメールをはじめウエッブ空間では、批判の嵐が吹き荒れたようです。
 このような状況は陰湿な「いじめ」に通じるものがあり、なによりも本人が驚いているのではないでしょうか。国母選手の服装は決して褒められたものではありませんが、かつての日本社会はもう少し寛容だったのではないでしょうか。日本社会の不安定な側面を垣間見たように思います。
 残りわずかなオリンピックの日程ですが、今後とも日本人選手には堂々と試合に挑んで、我々に多くの感動と教訓を与えてもらいたいと思います。


休眠状態の政府審議会
 

[2010.2.22]
 最近のマスコミもあまり話題にしていないことで、とても気になることがあります。それは、政府の各種審議会が政権交代後、ほとんど休眠状態だということです。これまで一府省平均して3つないし4つの審議会があって、所管大臣の諮問に応じて、特定の行政課題に対して客観的・専門的な検討を行い、答申を出してきました。また審議会自体が自ら、時の行政課題に対して意見や提言を行うこともしばしばありました。
 名の通った審議会としては、死刑や時効のあり方を議論する「法制審議会」や、消費者庁設置に先鞭を付けた「国民生活審議会」、毎年の税制改正に意見を述べてきた「税制調査会」など、数を上げればきりがありません。それぞれの審議会の委員にはその分野の権威ある学者や有識者が数多く起用されており、審議会の委員のすべては公表されます。そのうちの何割かの人事は国会での同意を必要としています。
 審議会からの答申や意見について、所管大臣は尊重する義務がありますが、全く従えという強制力はありません。自民党政権時代には官僚が審議会の議論や結論を巧妙にリードして、結果として官僚主導の手段にしたとか、「官僚の隠れ蓑」と批判されることもありました。しかし一方では、消費税の導入など、政治が手を付けにくい政策をいち早く打ち出して、政治を動かしてきたこともあります。
 ところで民主党政権は、「政治主導」をキャッチフレーズにして官僚支配からの脱却を図ろうとしています。したがって「官僚の隠れ蓑」とみなす政府の審議会を頼らず、大臣の私的な諮問機関を多用したり、政府税制調査会などでは各府省の副大臣など政治家だけを構成員にしたりして、政府審議会の開催を見送るケースが増えてしまったのです。
 このような民主党のやり方には、いくつかの問題点を指摘しなければなりません。まず専門的な意見や客観的意見が行政に反映されにくいことです。政党や政治家の勝手な思い込みによって、公正公平であるべき行政が歪められる危険があります。政治は決して万能ではありません。広く深く専門家の意見を聞くことはとても大事です。
 もうひとつは「私的諮問機関」では、メンバーがだれなのか、どういう基準で選ばれたのかなど、あまりにも不透明だということです。そこから導き出された結論には、どんなに正当性があっても国民は信頼できません。昨年秋に華々しく実施された「事業仕分け」でも、メンバーがどういう基準で選ばれたのか、未だにはっきりしません。同じ問題が潜んでいます。
 政府民主党には、大臣の好き嫌いや個人的なつながりでメンバーを選ぶような「お手盛り」は即刻やめて、正規の審議会の活動を活性化させ、官僚の事前誘導を監視して、公正公平な行政を実現すべきです。


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